医療特撮部LOG

特撮好きな看護師の送る日々の記録

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引用:病院にかかると言うこと ;インフォームドコンセント を考える

引用元URL http://mixi.jp/view_diary.pl?id=382071530&owner_id=6605251



mixiの日記でとても納得した日記があったのでリンクを張って紹介させていただきます。



mixiに参加していない方にも読んでいただきたいため、引用させていただきました。



(先生とその秘書様の会話形式で話が展開されております)




===引用開始======================================



「先生,おはようございます。」

「おはよう,望月。」

「先生,ちょっとお聞きしたいことがあるんですが ・・・」

「なんだよ,朝っぱらからヤブカラボウに。」

「実はインフォームド・コンセントのことなんですが ・・・」

「インフォームド・コンセントだぁ? 突然何のインフォームド・コンセントを俺に求めているわけ?」

「いえ,別に先生にインフォームドコンセントを求めているわけではないんです。私の知り合いが病院でインフォームド・コンセントを受けたので,色々聞かれたんです。」

「なんのインフォームド・コンセントだ?」

「大腸の手術をするに当たって,普通におなかを切るか腹腔鏡を使って切るかだそうですけど ・・・」

「それだけ?」

「ハイ,それだけ」

「それだけでおれに何を求めるわけ?大体手術をする元になった疾患は大腸癌でいいのか?大腸癌だとしても俺は全くもって専門外だ。しかしその俺でも意見を求められれば,大腸癌のできた場所はどこかとか,癌の組織型はどんなもんかとか,その進行度はどの程度なのかとか,現在の一般的な手術,腹腔鏡下での手術,内視鏡的処置のそれぞれでの適応基準や問題点とか,期待できる治癒率とか,それこそ聞きたいことが沢山あるけどな。単純に手技の問題だけを取り上げられるもんじゃないだろう。手技の問題だけ取り上げたって,医者の熟練度とかの問題もあるだろうしな」

「そう言われればそうですけど。でもそれぞれの手技の利点と欠点の書かれた紙を渡されて,自分で決めて連絡してくださいって言われたそうです」

「それだけ?」

「それだけみたいですよ」

「まぁ,おまえも聞いた話,俺もおまえから聞いた話だから,その話がどこまで本当か分からないし,渡された説明書を見たわけじゃないから,どの程度のことまで書かれているのかも分からないから,なんともいえないけどな ・・・ それにしても,おまえが話すとおりならとんでもないインフォームド・コンセントだな。と言うよりそんなもんインフォームド・コンセントでもなんでもないぞ」

「インフォームド・コンセントじゃない?」

「絶対インフォームド・コンセントとは言えない。説明書を渡してそれを読ませて治療法を決めさせてインフォームド・コンセントって,あんまりにもずうずうしくないか。そんなの聞いたことないぞ。既に基本から外れているな。まぁ,似たようなことはどこででもおこわれているんだろうけどな。おまえ,インフォームド・コンセントって意味,分かってんだろう?」

「それくらい知ってますよ。充分な説明と理解を基にして,合意をすることでしょう」

「そう,まずは医療者が充分に説明して患者がキッチリ理解するのが基本だ。説明書を渡して,それで充分に説明したことになるか?質問があってもできないじゃないか。それに読むことはできても,それを充分理解するって事になるとまったく別の話だぞ。素人じゃぁ‘どこがわからないかがわからない’なんてことはいくらでもありうることだ。知り合いの医者が言ってたが,‘質問はありませんか?’と聞いても‘何を質問していいかわからない’なんて答える患者が沢山いるんだそうだ。‘consent = 合意’ってのは,医療を提供する側と患者との双方向で意見が一致するってことだぞ。双方向だ。何を質問していいか判らない患者と医療提供者との間で双方向に意見が一致していると言えるのか?医療提供者が一方的に説明しただけで,インフォームド・コンセントなんて呼べる代物じゃないよ」

「そうですねぇ ・・・」

「それにインフォームド・コンセントなんて少なくとも今の日本人には無理だ」

「日本人には無理?」

「全くもって無理。今の甘ちゃんの日本人には通用しない概念だ。馬鹿な厚生省が日本の背景も考えず,アメリカから勝手に導入しただけだよ。ほとんどすべての日本の患者にゃぁただのありがた迷惑。日本じゃ医者が訴訟から身を守るためにするのがインフォームド・コンセントの真似事だ。患者のためにしてるものじゃない」

「えーっ!インフォームド・コンセントって患者さんのためにするもんじゃないんですか?」

「そう,日本では患者のためにするもんじゃない。だいたいインフォームド・コンセントが成り立つためには,それなりの背景が必要なんだよ。その背景が日本には育っていない。だから無理」

「それなりの背景ですか?」

「そう,社会的と言うのか文化的と言うのか,そう言った背景だ」

「具体的に言うとどういう事ですか?」

「まず,医療を‘契約’と認識できる背景が必要だ」

「医療が契約ですか?」

「そう,医療ってもんは,患者がどう思おうが,契約の上に成り立っていることに変わりはないんだ。ところがそんなことを認識していない患者ばかりだ。日本人は義理人情が好きだし,水戸黄門が好きだ。当然‘赤髭’も大好きだし,医者の鏡みたいに言われている。医療は‘施されるもん’,‘与えられるもん’だと思ってる。国民皆保険って言う大変結構な仕組みのせいで,医療は受けることができて当たり前のものだと思っている。そんな連中にインフォームド・コンセントなんて言っても時間の無駄だ。もっとも医療だけじゃなく,日本人社会にはもともと‘契約’って考え方は希薄だけどな。下手に契約書を持ってると悪人呼ばわりされて,助さんや角さんにとっちめられる。逆にアメリカなんかじゃ何でもかんでも契約だ。だからすぐに契約違反で訴訟になる」

「確かにアメリカの訴訟の数はものすごいって言いますからね」

「まだあるぞ。インフォームド・コンセントってのは必要充分な情報を得た上で,自己決定権を行使する権利なわけだが,自己決定権という権利を行使する以上,自己責任って言うとんでもないものがくっついてくるわけだ。しかしその自己責任がくっついていることを全く理解していない。」

「自己責任ですか?」

「そう,自己責任。こいつはすべての権利行使に付いてくるもので,インフォームド・コンセントに限ったことじゃない。権利を行使するんだ。責任がついて回るのは当たり前のことだ。ドラマが起きて訴訟が起きるってこと原因の一つは,この責任のなすりあいなわけだ。」

「責任のなすりあいねェ。インフォームド・コンセントではどういうことですか?」

「医療行為の結果に対する責任は患者自身が負うって事だ」

「え~っ!医療行為の結果に対する責任を患者自身が負うんですか」

「おまえ何を驚いているんだよ。インフォームド・コンセントってのはそう言うことだ。多くの患者は甚だしい勘違いをしていて,治療の結果を医者に求めるし,結果が悪けりゃぁ医者のせいにする。お門違いもいいとこだ。だいたいどの病院を受診するか,どの医者と契約するかも含めて自己責任だ。ヤブ医者!って医者に文句を言う前に,そのヤブ医者と契約を結んだのは誰かって考えろと言いたいね。ヤブ医者と契約を結んだのは患者自身なんだ。だったら自分を責めるべきなんだよ。日本の病院は診療拒否することができないんだそうだ。とすりゃ,患者はどこでも好きな病院,好きな医者に受診することができるわけだ。にもかかわらずそのヤブ医者と契約したんだから,そりゃぁ自分の責任だろう。しょうもない骨董品を高い金で買って文句を言ったところで,結局物を見る眼がない自分の責任だろう?」

「そうかもしれませんが,医療行為の結果の責任を医者に求めるのは普通じゃぁありませんか?」

「日本人の感覚では普通かもしれんが,インフォームド・コンセントはそんなもんじゃない。医療者の仕事は患者に良い結果を提供することじゃぁない。その患者が選択した,または納得した医療そのものを提供することだ。結果は提供された医療に後からくっついてくるもんだ。結果についての責任は,その医療を選択した患者自身にあるんだ。納得してもらう部分は,患者が契約した医療行為が誠実におこなわれていることに対してだよ。良い結果が出たから納得するなんて奴はほうけた患者だ。インフォームド・コンセントなんて解っちゃぁいないんだよ」

「でも患者さんが医者に結果の保証を求めるのは当然ですよ」

「当然なわけないだろう。人情としてはわかるがな。しかし今のところ医療は結果を約束できるものじゃぁない。小中学校ばかりが高校まで卒業してるくせに,そんなことも解らんような奴はインフォームド・コンセントなんて無理だ。レベルが低すぎる」

「レベルが低すぎますか?」

「低すぎる。人が保障できるのは結果ではなく,自分ができること・することだ。おまえは何かの結果を保証できるのか?たとえば今している仕事の結果を保証できるのか?日常のたいした仕事でなくても,その結果を保証しなけりゃおれ様に罰金千円を払う,なんて決めたら大変な出費になるぞ。おれは助かるがな」

「そりゃぁそうですが。普段の仕事と命を扱うのとでは全然違うじゃないですか」

「馬鹿だねェ。普段の仕事ですら満足に結果を保証できないのに,もっと複雑でよくわかっていない世界で結果を約束できる人間なんているわけないだろう。読みきれるようなもんじゃないんだよ,医療ってもんは,と言うより人間ってもンは読みきれる存在じゃぁないと言った方がいいな。それに結果を読みきれないのとは別にミスの問題もある。おまえがたとえベストを尽くしていても,キーを打ち間違えることはあるだろう?医者だってベストを尽くしていても何らかの間違いを犯すことはある」

「そうかもしれませんが ・・・ 怖いな」

「怖いなって言ったって人がすることだからな。人は間違いを犯すものとして作られてるんだから仕方ない。まぁ結果としては影響は出ないかもしれないし,逆にとんでもない影響が出るかもしれない。しかし人に人の能力以上の保証を求める方がよっぽど変だと思わないか?おれはおまえに人以上の能力を求めてはいないぞ」

「それはそうですが ・・・」

「今話したみたいなベストを尽くしているにもかかわらず,その過程で生じた‘ミス’について争うならまだしも,ミスの有無にかかわらず,結果そのものを争うようなしょうもない医療訴訟が多いからな。しかしベストを尽くしている過程のミスを責められたら,どうにもならんだろう。おまえだったらどうだ?ベストを尽くしているのにミスをした。それを俺が‘大馬鹿野郎と罵った。やってられるか?」

「やってられないと思います」

「そんな的外れな医療訴訟が起こされるたびにやる気を失っている医者はそれこそ沢山いるんだよ。そんなことしてたら,本当に日本は医療過疎になっちまう。実際に訴訟を起こされるのが怖くて大げさな病気,危険を伴う領域にかかわらないようにしている医者だって少なくない。危険のついてくる仕事を避けるのはあたりまえだ。負わなくていいことにまで責任を負わされて,それが当たり前のように言われるわけだからな。既に産科や小児科の医者のなり手がいなくて困っているだろう。俺だって今の状況じゃぁ産科や小児科の医者になんて絶対なりたくないね。世間じゃぁ赤ちゃんは健康に生まれて育って当たり前だと思ってんだから。少しでも産科や小児科をかじったことがあれば,元気に生まれて育つことがほとんど奇跡に思えるはずだよ。その奇跡が日本では日常的に起こっているんだ。産科や小児科医の努力の賜物でな」

「たしかに訴訟を起こして,産科医がいなくなってしまった地域もありましたもんね。」

「最近も北海道の方で小児科がらみの事件があっただろう?誤診で子供が死んだって奴だ。新聞なんかじゃ,‘誤診’なんて言葉を使っているが,あれもどんなもんかは分からないぞ」

「誤診じゃないってことですか?」

「その時の診断が間違ったからって言って医者を訴えてたら本当に医者はいなくなるぞ。医者の世界 1+1=2 みたいな単純なことをしてるわけじゃないんだ。それに新聞書いてる奴は医療のことなんか全く分かっちゃいないど素人だし,医者を悪者にすると盛り上がるからな」

「そんな問題ですか?」

「新聞屋のやってることはそんな問題だろう。少なくとも今の医療をどうにか良くしようって視点で記事を書いていないことだけは確かだな。犯人探しのゲームみたいなもんだ。それこそ鬼の首を取ったように盛り上げる。そんなスタンスの記事が次から次に書かれていたら医者はやる気を失って当たり前だ」

「でも先生,プロフェッショナルは結果でしょう?」

「そう,プロフェッショナルは結果がすべてだ。その過程なんぞどうでもいい。100%確実な結果を生むのがプロフェッショナルだ」

「じゃぁ,結果が悪くて訴えられるのは仕方ないじゃぁありませんか」

「プロフェッショナルであるか否かが問題なのは,本人にとってなんだよ。プロフェッショナルってのは資格じゃぁない。誇りなんだ。他人からあ~でもない,こ~でもないっていわれる問題じゃぁないんだ。もちろん裁判の問題でもない。自分自身の誇りの問題なんだ。予想されるベストの結果が得られなかったら,その理由が何であったとしてもそれを真摯に受け止め,更なる高みを目指すのがプロフェッショナルだ。決して現状に甘んじないのがプロフェッショナルなんだよ。プロフェッショナル度が高くなれば高くなる程,本人が予想する結果はより高く正確なものになるだろう。しかしプロフェッショナル故にアホな予想は立てない。例えば,人間は必ず死ぬものなのに,全員を助けるみたいなナンセンスな目標は立てないんだよ。自分の限界を知り,自分の限界を超える努力をする姿がプロフェッショナルなんだ」

「なるほど,そう言い逃れるわけですね」

「言い逃れてなんかいないさ。それが事実だ。おまえこそ何を勘違いしてるんだよ。物を知らない奴,物を考えない奴,自分を突き詰めない奴は自分の限界を知らない。自分の限界を知らないから他人の限界を認めない。プロフェッショナルは他人には優しい。自分の限界を知っているからな」

「先生は私に厳しいじゃないですか。プロフェッショナルではないんですね」

「大馬鹿モン。プロフェッショナルは限界を極めようとしている人間に優しいだけだ。おまえみたいに力を出し惜しみする奴,自分の限界を求めない奴なんかに優しいわけがないだろう。むしろそんな奴は許せないんだよ。馬鹿言ってんじゃないよ」

「プロフェッショナルって気難しそうですね。プロフェッショナル同士は仲よくできるんですか?」

「仲がいいとか悪いとか言う問題は生じない。プロフェッショナル同士なら相手のすごさがよく分かる。だからお互いに相手を尊重するし,同じ目標があれば協力し合うよ。ところがプロフェッショナルじゃない奴が入ってくるとおかしな事になるんだ。プロフェッショナルな人間だけの集団はまとまりやすいんだ。まぁ,いい。今日はインフォームド・コンセントの話だったからな」

「インフォームド・コンセントにはまだ問題があるんですか?」

「大有りだよ」 ・・・ まだまだ続きそうな気配です。


===引用終了======================================





いかがでしたでしょうか。



もう耳慣れた言葉となったインフォームドコンセントかもしれませんが



何か一考感じるものがあれば幸いです。



そうでなくとも何か得るものがあると、医療への認識が少し変わるかもしれません。



ちなみに、この日記のコメントには医療関係者(特にドクター)の方もコメントしてまして



そのほとんど全てがこの内容に賛同・同調するものでした。



自分の見解としましては医療者と患者との間で、認識のズレが生じていて



最近はそれが悪化しているために、医療崩壊の危惧があるのではないかと考えています。



あとまだ2編残っております。



もっと時間があれば、自分の見解も詳しく書きたいところですがとりあえず紹介ということでとどめておきます。

http://ameblo.jp/crystal-hanetaro/entry-10031812752.html
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  1. 2007/04/26(木) 00:04:38|
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引用:病院にかかると言うこと ;インフォームドコンセントを考える-2- | ホーム | 暴かれる真実

コメント

■無題

いやいや、なるほどと思いましたよ。
私は卒業論文で少子化をテーマに書いたのですが、その際に産婦人科医の減少についても触れました。何というのでしょう、元気なのに医師に診てもらうというのはお産の時ぐらいですよね。だから、いざそれが失敗したとなるとそのはけ口を医者に向けてしまう。なんか違うなと思います。
これはすみません、純粋に私の個人的意見なのですが、どうも人は他人を責めすぎなのではと感じることがよくあります。失敗とか後悔とかそういうものを「周りのせい」にしすぎではないかと…

ここでいきなりこんな話を持ち込んでどうかと思うでしょうが、少しメビウス31話「仲間達の想い」を例に出したいと思います。
あの話でサコミズ隊長の誕生日、ミライ君が豆を買いに行けと言われて買ってきたのは福豆だった…ってエピソードがありましたよね。あの時マリナはリュウに「ちゃんとコーヒー豆って言わないとね…」と言っていました。普通ならば「隊長に豆っていったらコーヒー豆に決まってるだろ!」と責められるシチュエーションなのです、あそこは(ミライ君が宇宙人だという事実はこの際置いといてください)。単純にミライ君を責めるのは簡単なのですが、そこで一歩下がって「ちゃんとコーヒー豆って説明すべきだったな…」と一考するあたりが何ていうか、私には大人だなぁと思えるわけですよ。

何か真面目な話にウルトラまで出してきて、結局何言いたいのかよく分からずじまいですが、まあそういうことです(汗

ファイリオル 2007-04-26 20:26:28 [コメント記入欄を表示]
■すごく勉強になりました

医療が契約であること、自己責任のこと、医師であったとしても人であり、何もかも完璧に出来るものじゃないと言うこと・・・この記事に書いてあることはとても大事な事だと思い、心に強く残りました。
『我々ウルトラマンは決して神ではない。どんなに頑張ろうとも救えない命もあれば、届かない思いもある』
を思い出しました。
医師の皆さんは自分の力の限り、私達の命を守ってくれていることに改めて気付きました。
例えそれが最善の結果でなくても、私達は心から感謝していかなければならないないと思いました

嶋崎勇 2007-04-26 22:19:03 [コメント記入欄を表示]
■>インフォームドコンセント

>ファイリオルさん
卒論のテーマが少子化とは・・・
それは確かに産婦人科とは切っても切り離せないものですね。
お産というのは基本的におめでたいものですし
誰もが無事に生まれて当然、と思っているところがあるので
なおさら医療者に感情の矛先が向けられやすいのかなと思います。
人間はなかなか自分のせいだとは思えないものです。
なぜなら誰かのせいにしたほうが気が楽ですから・・・
そういう体質もよくないんですけどね。
それにしてもここでメビウスの話がでてくるとは・・・
(そしてその意味が一発でわかる俺って・・・w)
コミカルなシーンであったはずなのですが
そう考えると深い意味を持つシーンでもありますね。
まさか製作者もこんな捉えかたをする人がいるとは思ってなかったのでは^^;
いえ、何が言いたいのかむしろよくわかりましたよb

>嶋崎勇さん
なかなかこういう意識を持つことは難しいかと思いますが
今後は絶対に必要になってくると思いますので
心に残しておいて損は無いと思います。
医師だって万能じゃないし、同じ人間ですからね・・・
自分の限界の限りまでやっているのが今の医療を支えています。
そのカラータイマーが消えたら・・・
日本の医療は二度と再び立ち上がることはできなくなるでしょう。
そうならないようにするために、今の意識を変えることが大切です。

優咲 2007-04-28 22:02:18 [コメント記入欄を表示]
  1. 2007/12/04(火) 19:10:23 |
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